「精米取引で美少年酒造に裏金提供」
という記事がアラ不思議、たちまち妖しげなBL風味のヘッドラインに。
やっぱり美少年酒造は偉大である。今度買ってみるとしよう。

某月某日
もはやいつの話か思い出せぬので諒とされたい。
鞭を買う。
ネットで安かったのでつい指が勝手にクリックを。
ほんとだって、信じてくれよ刑事さん!
まあS木(官)は無慈悲無表情に調書を取りそうだが。
長さ180センチ。黒革である。手にしてみたら、インディ・ジョーンズっぽいかと思ったが、遠くから見物していた母曰く、
「にしおかすみこみたいだねえ。SMの芸人の」
だと。
すみません私芸人に詳しくないので判りません。

某月某日
バイト先で朝日新聞を開いて吃驚。
元同僚の本業カメラマン氏が顔写真入りで登場している。以前はよく宴席を共にした仲で、一度は個展も訪ねたことがある。地元の自然に興味が向いていると聞いたことがあり、某ダムの建設見直し絡みで取り上げられたようだった。
精悍さはさらに増している。馬券で負けてばかりでへこんでいたY岡さんとはとても思えない。
私はよく写真を撮っていたが、ネタに走らねばならぬというオブセッションがあった分、普通の写真は見方がよく判らない。それでも、個展の舞台である氏の地元の渓谷の四季は、色彩豊かで清涼に切り取られていたと記憶している。
当時を想い出し、いろいろと懐かしくなった。

某月某日
不景気は止まない。全日空でストがあったとかいうニュースを見たが、さして問題にはならなかったようで流されていた。というより、利用客の反発の声が多めに映されていたように思う。ストをはじめとする組合的なるものへの眼差しは、いまだ厳しいようである。しかし彼らを眼差す「一般大衆」の、生活経済的基盤が掘り崩されているいま、それは単に忙しい猛烈サラリーマン的サディズムではなく、「恵まれている職業への嫉妬」に発する絶望の成分も濃厚になっているのではないか。以前にも書いたように、公務員への一般大衆の攻撃衝動はかってないほどに高まっている。それは必ずしも生産的ではない。単なる破壊衝動を満足させ憂さを晴らしたとしても何ら建設的な部分に寄与しないからである。小泉政権の総括の試みはいまだ毀誉褒貶相半ばする評価であるが、とりあえず「ぶっ壊す」「ぶっ潰す」という面においては日本近代史上稀に見る成功を収めた政治家であったとは云えよう。そこで「ぶっ壊」されたのが、彼を熱狂的に支持した「普通の人々」の「安定した生活」であったのは皮肉だが、歴史の激変期には面白いことがいろいろと生じるものである。
ふと元銀行マンKT野氏との会話を思い出した。
KT野氏が班長を務める某班に配属された応援要員がまあ使えないことという話で、聞けば聞くほど無能で愚昧としか思われぬ老人で、腰は低いが常識知らずという。
「あのおっさん、ほんとにいままで何して食ってきたんだろう」
とKT野氏は首をかしげている。
そういう人でも許されたり務まったりした仕事や職場というのが昔はあったのだろう、善し悪しはともかく小泉の時代に全部ぶっ壊されたがと返す。体育会系的倫理の所有者であるKT野氏は、カジノ資本主義的な金融主導経済には批判的であり、金融の仕事は産業の育成と云い切る伝統的な気質の銀行マンであったのだが、氏とやりとりしていると、本当に遠くなった時代のことを聞いているような気が湧いてきたものである。
「だいたい50歳にもなったら経営的な視野を持たねば駄目だ」
と氏は云う。これはある程度の年齢になったら皆それなりに昇進し、どこかで管理職になるというモデルが主流であるときには通用した話である。以前取り上げたように何故国鉄の、また今回では全日空のストに対し、「一般大衆」の視線が冷ややかであるのか。これはかなりの程度「経営者」の視点から見ているからではないのか。それが間違っている、とも云えない。そういう社会は膨大な中間層による安定を生み出していたからだ。だがいま、そしてこれからも、そうした「かなりの社員が昇進し管理職になれる」、現代風な多少の変奏を効かせれば「かなりの人間が起業しある程度の成功を収めることが出来る」社会になりうるであろうか。その点では悲観的になれる以外のネタはあまりない。財界のお先棒担ぎ連中が「ホワイトカラー不要論」を振りまきつつある現状ではなおさらのことである。ついでに云えば公僕の世界にはまだかかる高度経済成長サラリーマンモデルが通用しているが、遠からず見直されることになるだろう。借金しても給料を払うという財務形態は健全ではないからである。公的機関の財政と民間企業の予算決算を同等視してはならないのは常識だが、単純に累積赤字という問題ばかりではなく、
「公務員以外の国民の怨念」
なるものまでをも相手にするのは国家にも地方政府にも荷が重過ぎる。嫉妬心は厭うべき也。然るに小人のルサンチマンは無駄な逆行に結びつくものでもある。
「霞ヶ関をぶっ壊す」
と小泉が獅子吼していたら、今度はB層以外でも熱烈な賛同者が大挙現われていたのではないか。そう云わない、というか云えないのが彼の限界であるが、ネオリベラリズムを貫徹するのであれば「公的部分の極小化」は当然な論理的帰結であり、これこそが「改革の本丸」であって然るべきではあろう、とは思う。

この日は、役人根性と警察官意識が合体すると碌なことにならないという実例を間接的ながら見聞し、
「ほんとに役人あがりは器が小さい」
という大合唱の中、ありうべき官民の業務のあり方について考えざるを得なかった。

某月某日
横須賀へ行く。
小泉の話をしたからではなく、軍艦を見に行くわけでもなくカレーを食べるためでもない。
例によって例の如く、姉に拉致られたのである。
今日がライヴツアー初日という。
どこか多摩動物公園駅を連想させる造りの駅舎を出ると、すぐ左手に海があった。
海に沿って公園が延び、会場の芸術劇場あたりまで続いている。
土地柄だけに、すれ違う兄ちゃんと肩でも当たったら即修羅場にでもなるかと内心わくわくしていたが、あまり人がいなかった。いるのは姉と同行の士の女性ばかりである。
アリーナ席ではなくぐるりと取り囲むほうの席だった。パーティションを切り、もう少し豪華なら、アル・カポネがオペラを観ていそうな場所である。
見渡すと、多くはないが空席があった。少ない分だけ目立つ。
知った曲はあまりなかった。
「このところ音楽業界も冷え込んでまいりまして」
とMCでY崎Mよしが云う。やはり完売ではなかったのだろうか。
ライヴ自体には満足。
周りの席は年配の姿もちらほらとあり、総立ちにはならなかったのも良し。
終了後、適当な食い物屋を探すが見当たらない。ファーストフードは満杯で、敷居の高いレストランでは帰りの電車の時間が気になる。諦めて電車に。
帰路の車中はずっと寝ていた。

某月某日
結局、小沢一郎の公設第一秘書は政治資金規正法のみで起訴。
同僚CK良氏が、逮捕されたときに政治はクリーンであらねばならず検察には頑張って欲しい旨発言しており、やはり全共闘世代の心情左派はリアルポリティクスのセンスにおいては駄目かと溜息をついたものである。つまるところ彼らにとっての敵は自民党であり経世会であり金権支配であり土建主導国家であったわけである。その点で半ば以上小泉とは意識を共にする。
ちなみに、私は謀略説は採らない。採りたくないという心情的な理由であって何らの合理的推測に基づくものではない。まともに考えたら火付け役がいたとしか考えられないし、麻生との合作であるか否かは措き漆間が中心となりその任を担っていたという筋が妥当だろうが、それにしては、即ちシナリオライターがいたにしては杜撰すぎる。もしこれが何者かの意図による行為であったとしたら、その計画も訳者もあまりに程度が低い。本邦キャリア官僚はここまで矮小化したのかという点に絶望を覚えてしまうので、なるべく官邸主導の陰謀とは考えたくないところである。最近の者は政治家も役人もスケールが小さくなった、それは戦争を経験していないからだという云い回しが流通して久しいが、それには賛同しかねる立場として平和でもまともな公職者は生産されていると考えたいだけであるのだが。
検察は、しかし何かの意図を抱えているかもしれない。現場の出世意欲の暴走を上が抑えきれなかったのかあえて手綱を緩めたのかは不明。ただ不公正があからさまで、かかる不器用さは寧ろ暗部の陰謀を暗示するものではないだろう。それでなくば、やはり暗くはなるが愚かな道化としか例えようがない。
偏向した報道は、あまり効果を生んでいない。有権者の中でも頭の悪い向きの考えは、
「小沢は悪いが麻生は馬鹿」
であり、ここまで「味方」の援護を受けても麻生の支持率は三割に届かない。
陰謀はないが、「敵」は明確になった。というよりも小沢民主党にとっては敵だらけである。官邸、自民・公明は無論、霞ヶ関とマスコミも敵に回った。霞が関は公務員の予算と人事に手を突っ込まれたくないからであるが、記者クラブ開放路線への反発以外では、マスコミは社別にやや色調を異にする。産経は財界と自民の意向を汲んで捏造に励んでいるが、よく判らない毎日はともかく、読売と朝日は微妙である。口火を切った朝日が「反小沢」であるのは有名だが、「反民主」であるのかは判らない。経済部は明らかに劣等必敗のネオリベラル路線だが、政治部も社会部も単に小沢憎しであるだけのようにも思われる。読売はナベツネ主導で自民党を中心とした連立政権を常に考えているのだが、もしも大連立をいまだに考えているのであれば公明の立場が曖昧になる。福田のときはそこを突かれたわけである。
朝日の論調では、小沢を下ろしたほうが民主党は勝てると云いたげである。他野党との関係を考慮するとそれは皮相な見方でしかないと思われるが、かかる意見が政治学者にも多いのは確かである。
とにかく参議院を握っているのは民主党はじめ野党で、この構造はそうそうは変わらない。衆議院選挙でもし自公が勝てば「直近の民意」を振りかざして参議院の子羊化を図る心積もりであろうが、三分の二議席の維持がほぼ不可能であろうことを鑑みると、政権運営が不安定になるのは不可避である。
私は筋論からして小沢は降りるべきではないが、選挙調査で悪い数字が出たら(即ち検察とマスコミの意図が達成されたら)降りるかも知れぬという推測は出来る。ただ、麻生はほんとうに駄目な子なので、今後もいろいろと間抜けな言動で世界に恥をさらしてくれることであろう。麻生で選挙を戦わねばならない状況が醸成されている現在、まだ私は七三で民主党の勝ちと考えている。というか、そういう認識を持つに至ってしまうような宰相を担いでいる時点で、私のみならず日本人は皆不幸である。
もっとこう、馬鹿でもなく小物でもなく気違いでもなく官憲でもなくブンヤでもない、腹黒い寝業師同士のやり取りを望みたい。

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